丹生鉱山と関わりの深い伊勢白粉についても、ここで紹介する。
丹生鉱山に近接する三重県松阪市射和地区を中心に生産されていたので射和軽粉ともいう。また、御所白粉、ハラヤともいう。水銀系の白粉の成分は、塩化第1水銀(甘汞)であり、透明の結晶体である。原料は水銀の他に、食塩・水・実土(赤土の一種)である。
製法としては、水銀・食塩・水・実土をこね合わせ、鉄釜に入れて粘土製の蓋である「ほつつき」で覆って約600℃で約4時間加熱する。すると、「ほつつき」の内側に白い結晶が付着する。これが塩化第1水銀であり、これを「ほつつき」から払い落とし、白い粉状にしたものが水銀白粉である。
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白粉は鎌倉時代に中国から製法が伝来したとされる。当時の白粉の製法には水銀の存在が不可欠であり、丹生鉱山が存在するこの地域に伝播することになった。文安年間(1444年ころ)には、窯元が83軒ほど存在していたという。享徳2年(1453年)には三郡内神税御注文に、軽粉窯元に対して課税がなされた。鎌倉時代から軽粉座が存在し、これは伊勢神宮が本所となっていた。その後、本所は公家である京の薄家となり、現地に代官が置かれる事となった。伊勢射和白粉公用として、年に6貫文が本所に納められた。その後、本所は北畠家等に移った。
射和の軽粉商は、白粉の他にも小間物等も扱っていた。当初、白粉は化粧品であると同時に、腫れ物といった皮膚疾患を治す薬品として貴族の間で珍重されていた。また、時としては外用ばかりでなく、腹痛の内用薬としても用いられていた。